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東日本大震災,熊本地震の被害者の皆様に深甚のお見舞いを申し上げます。

2016-09-12 (月) 16:06:58更新しました。

略歴 

S26/1/27h 秋田県北秋田郡早口町(当時)で出生
S32/4hh   品川区立第三日野小入学
S33/1/10hhh父交通事故死※
S36/5hh   練馬区立大泉第二小転入
S38/3hh   区立大泉第二小卒
S41/3hh   区立大泉第二中卒
S44/3hh   都立大泉高校卒※※
S45/4hh   一橋大学法学部入学※※
S51/3hh   一橋大学卒
S52hhhhhhd司法試験第2次試験合格    
S53/4hh   司法研修所入所(32期司法修習生)
S55/4hh   東京地裁判事補(八王子支部勤務)
H22/3/31hhd依願退官
H22/7/1hhhd弁護士登録

※ 父の死が,私の母をはじめ家族に与えた影響は,はかりしれません。母は九十数歳で,ご多分にもれず認知症で要介護,今の今言ったり聞いたりした言葉も直ちに忘れてしまいます。が,五十数年前に父が死んだ時の驚き・衝撃と,その時抱いた将来への強い不安感については,繰り返し繰り返し,昨日のことのように明瞭に語ります。
 人が死ぬということの重大さを身をもって知る者として,それを仕事に生かしたい,人が死ぬような事件は一掃したい,一掃が無理なら,1件でも2件でも減らさなければならない,それが裁判官の使命だろうと思って仕事をしてきました。この点は,弁護士になっても変わりません。

 家族の死によるハンデイもあります。
 ちなみに,母の記憶が清明な頃に聴いた話では,亡父の交通事故による賠償金は36万円であったそうです。死亡時の職業は会社役員(ちなみに死亡翌日の日経朝刊三面に職業を「材木商」とする亡父の事故の記事が小さく掲載されています。),年齢46歳。平均余命が20年として,得べかりし利益が年額1万8千円,月額千五百円。現在の貨幣価値に直すため,10倍しても年額18万円月額1万5千円です。どういう部署の誰の判断か今となっては分かりかねますが,明らかに安過ぎる命の値段です。自賠法は昭和30年,3年前に制定済みです。法律の内容が適当だったり,その運用関係者達がいい加減な気持で適当に処理していると,すさまじく過酷な国家になります。

 赤い本の資料中の「自賠責保険金額の変遷」によると,昭和35年前の死亡保険金は30万とあります。これが元凶でしょうか。逸失利益の関係が6万というのは,戦わなかったということでしょうか。
 ただ,小学1年次の私のおぼろげな記憶でも,「アッ お母さん白髪になった」と思った印象が残っており,強烈な精神的衝撃のためでしょう,髪が一夜で白髪になった記憶です。
 それほど,夫の突然の死に打ちのめされ,一方,明日からの生活は続けなければならぬ,子どもを抱えた女性に,「さぁ,裁判をせよ。しなければ,三年で時効消滅だぞ」というのも,まったく酷な話です。

 父の死後,私は,ふと,「これで母も何かで死んでしまうようなことがあったら,僕の人生はどうなるんだろう」と考えることがありました。少しでも,母の人生を楽にしよう,重荷にならないようにと考え,小学生ではさすがに無理だろうと思いましたが,中学に入ったら,母からせめて小遣いをもらわないで生きる方法を考えようと思っていました。
 そして,中学入学後,経営者は労働基準法には違反していたと思いますが,新聞配達や近くの町工場で1時間60円で働き始めました。
町工場は,何年かで閉鎖されましたが,新聞配達は家庭教師のアルバイトができるようになった大学入学前後まで続け,都立高校や一橋の入学金,司法試験の受験料は,自前の貯金でまかないました。

 退官までのここ数年間,何人かの所長から,「そろそろ施設を考える時期よ」「施設はどうなんだ」などと聞かれました。「老母さんを施設に入れ,おまえは裁判所が命じる転勤ができないのか」という趣旨でしょう。

 もっとも,私は,先に片道2時間半(往復5時間)の下妻支部まで,4年間通勤し続けた経験がありました。
往復5時間というと大変そうです。私も通勤開始から数週間は,夜,自宅最寄り駅に帰り着くたびに,夜空に向かい,心の中で,「今日も帰り着いたぞぉ」と雄叫びを上げていました。
が,その上下にシワができることを避けるために諸々の姿勢等に気を遣わなければならないようなスーツ姿での通勤をあきらめ,通勤は,疲れたら様々な姿勢を取ることができるような格好でして,役所で着替えるようにするとともに,比較的すいている車両の位置,移動に便利な階段とかを覚えるなどして,無駄な動きをなくして慣れてしまえば,さほどたいしたことはありません。

むろん,7時過ぎには家を出なければならず,通勤方法に代替手段がないこと(水戸線も関東電鉄常総線も1時間に1本でした)から,朝はいつも緊張しており,5時ないし5時半過ぎには目が覚めてしまっていました。が,何にもなければ通勤時間はほぼ丸々睡眠時間です。

ただ,何かで電車がいつもより遅れたり,ガタンと止まりでもすると,大慌てです。最近もそのころも,昔に比べて電車がよく止まっていました。
 刑事事件は事件数も多いのに,1週間に1.5開廷しか開けなかったため,1件35分でギチギチに入れていました。ですから,1時間遅れると2件流れてしまいます。ギチギチですので,時間をずらして入れることはできません,弁護人の方も他事件を入れているのが普通でした。

 いずれにしても,2時間半程度なら今後も通勤可能と思い,転勤先関係の希望としても記載していました。それでも,上記のように問われるのは,老母の状況を理解しながら,あえて,通勤不可能なところに単身赴任できないのかとの打診だと思いました。

 しかし,公立の老人施設は,待機が500人から1000人です。
 私立は,ごく最近は違う施設も出てきているようですが,数年前は,どの老人施設も,入居費として,最低でも五,六百万円,1か月の施設費が20万円程度で,1年目に最低でも合計七,八百万円,2年目は240万円,数年後に契約更新の一時金三,四百万円+240万円が必要でした。

 亡父が60位まで生きて,千万と言わず,七,八百万円程度の退職金でも受け取った後に死んでくれていれば,母の入居費の算段も容易で,介護の苦労も知らぬげな所長達から重ねて言われるまでもなく,家族が睡眠を十分に取るだけのためにも,もちろん実行していたでしょう。
 母をどう説得できたかは,残りますが。なにしろ,朝から晩まで,「今日,施設の人が迎えに来るんだったかねぇ」「施設に入るお金がありません」「あぁ,よかった」と何度も何度も問答を繰り返す状況でしたから。

※※高校の3年間,大学の4年間と合計7年間,日本育英会(当時)の特別奨学金の貸与を受けて授業料に当て,合計数十万円を後に完済しました。深く感謝しています。
 ただ,最近は,大学時代4年間の奨学金が合計数百万円,私立法科大学院の入学金と在学中の貸与奨学金を合わせると,1000万円近くに上るようで,返済が相当大変だろうと同情を禁じ得ません。
 授業料の値上げや額の設定時に必ず出るのが,「奨学金制度が完備」しているなどの議論ですが,返済金額,これに要する期間等を考えれば,奨学金の「完備」などということはありえないだろうと思います。

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